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あなたがそう思うのなら もうそれでいいです

ローカルルールはルールではない

 先週の土曜日、paris matchのライブ鑑賞のために上京した。
 今年で3年連続となったが、去年までの中央区銀座から、今年は会場が目黒区の恵比寿ガーデンホールに変わった。
 ホールは恵比寿ガーデンと呼ばれるところにあり、クリスマス間近とあって、一帯にはきらびやかに電飾が施されている。
 銀座だ恵比寿だと、paris matchのライブは小洒落たところばかりで開催される。そのうえクリスマスは私の人生にはなんの関係もないイベントであり、私のようなしょぼい中年のおっさんにして田舎者のおのぼりさんなど、この場には場違い以外の何物でもないのだが、私以外の多くの人々は、電飾や周辺に漂うムードとやらを楽しんでいる様子だ。
 世相は確実に昭和20年以前のような方向に向かって大逆走を続けているさなかだが、それでもこうして表面上は平和に見える。
 安倍首相をはじめとする極右たちの思惑どおり、日本が米国などの戦争に協力して、挙句に報復を受けて、見た目の平和さえも失われてしまわないことを願うばかりである。

 ライブが始まってしばらくしてから、私は携帯電話のメモ機能を使って、セットリストを記録しはじめた。
 もちろん携帯電話は開演前のアナウンスにしたがってマナーモードにしてある。
 液晶画面のバックライトで周囲の観客に迷惑が及ばないように、画面は手で隠しながらブラインドタッチで、しかも使っている時間が極力短くなるように、自分だけにわかる略語で手短に入力していた。
 1曲の間で入力にかかる時間は長くても20~30秒程度。そうして4曲目の入力をしていたときのことである。
 右隣の観客が肘で私を小突きながら「外でやりなさいよ」と言ってきたのである。
 詳細な検証は後述するが、私の行為のどこかに違法性やルール違反があっただろうか?
 仮に違法性があるならば、即座にやめなければならないことである。
 また、違法性がなくても、これ以上お互いに嫌な思いをしないためにも、諍いの元となる行動は慎んだほうがいいのかもしれない。
 というわけで、私は後者の理由により、セットリストの記録をとりやめた。
 安倍首相をはじめとする極右たちを反面教師として、自分で妥協できる範囲であれば、周囲の人や国と無駄に波風を立てるようなことは避けるのが賢明な生き方である。

 さて、私の行為についての違法性の検証である。
 まず、私がしていたのは携帯電話のメモ機能を使ってのセットリストの記録。
 たとえば「Passion8 Groove」であれば「8」といった感じに略語で入力する。
 もしこれが音声入力で「はち」と言って録音していたとしたら、それがたとえ自分の言葉であっても、録音行為自体が会場の禁止事項にあたり、ルール違反であるから隣席の注意は妥当である。
 ところが、事前アナウンスでは「携帯電話は、あらかじめマナーモードにするか電源をお切りいただくよう、ご協力を(以下略)」とのことで、そのどちらかの選択ということは、音が出てしまうことこそが問題なのであって、使用そのものは禁止事項とはされていないと解釈してよいだろう。
 つまり、通話は音声によって物理的にライブ興業を阻害するのでNGだが、メモ機能の使用では音声の問題は関係せず、ルール違反ではない。
 もしメモ機能の使用までNGなのだとしたら、紙と筆記具を使用したメモも、単なる使用器具の違いなのだからNGとしなければ整合性を欠くことになり、それは通常考えられることではない。それすらNGなのだとしたら、音楽誌のライブリポートなど成り立たないだろう。
 というわけで、理詰めで検証していけば私の行為に違法性はなく、ルール違反でもない。
 もちろん私は事前にそこまで考えたうえでセットリストの記録をしていたのだが、現実には私は隣席から小突かれたうえで注意されてしまった。これをどのように解釈すべきであろうか?
 単純に「マナーの問題」と考えてしまうと、これは問題が非常に拡散し、かつ曖昧になってしまう。
 マナーというのは、ある意味ローカルルールに近いところがあり、人や地域、さらには立場によって捉え方や適用に差異が生じるからだ。

 かつて、東京の港区元麻布にあるアバンティというイタリアンレストランのウェイティングバーに、スタン・マーロウというバーテンダーがいた。
 現在は祖国のアメリカに帰ってしまったスタンだが、その彼が言った言葉に「ローカルルールはルールではない」というものがある。
 この言葉を聞いた常連客の大学教授は「けだし名言」だと評したが、私もそう思ったものだ。
 実はこのときのシチュエーションも、今回の私と同じく携帯電話の使用に関わるものだった。
 常連の間では携帯電話の使用がNGという暗黙の了解があるアバンティの店内で、友人との待ち合わせのために初めて来店した客が通話を始めたところ、常連客から注意されてしまった。
 それに対して初来店の客は「そんなルールはどこにも書いてないでしょう」と反論。そこで常連客は「そういうローカルルールなんだよ」と応戦し、スタンにも同意を求めたところ「どうぞお話しください。ローカルルールはルールではありませんから」と発言したのである。
 携帯電話というのは、登場した当初から公共の場所での使用に関して悪者扱いされがちなところがあったが、そういう扱いについて、感情的な意見は多く聞かれても、しっかりと科学的に理論立てて検証された話をほとんど聞いたことがない。結局いつも「マナーだから」でうやむやにされてしまって終わりだ。
 私の場合など、会話どころか画面を隠しての、メモとしての使用である。
 その程度のことを隣席の人物から「マナー違反」と捉えられたのだとしても、それは法律やルールではなく、そう思った隣席の人物の中での「不快感」が基準であろう。それはまさしく彼の中でしか通用しないローカルルールそのものである。
 明文化されない人の感情に他人が強制的に律されるというのは非常に恐ろしいことで、これは憲法19条に規定される思想信条の自由を明白に侵害している。
 もちろん憲法19条を持ち出すからには、同時に12条の「公共の福祉に反しない」ことが求められる。
 法解釈としての「公共の福祉に反しない」というのは、「他人の人権を侵害しない」ということである。
 ライブ会場でのメモ行為が他人の人権を侵害するものではないことは明白だろう。

 たかがメモ行為への注意だけで、大仰に憲法まで持ち出して……などと考えてはいけない。
 いまや政府与党でさえもが、堂々と憲法違反の法案を立法化させてしまうご時世である。
 身近なちいさな出来事であっても、誰にでもはっきりとわかる基準を基に考える癖をつけないと、知らないうちに流されてとんでもないところに連れていかれてしまうおそれがある。
 私だって、できることなら法律だのなんだの考えずに過ごしたいと思っているのだ。
 けれども、どんどん狭量になっていく世間の流れがそうさせてはくれない。せめてもの自己防衛のために、ものごとを理詰めで考えるようにしなければならないのだ。

 ところで、今回のライブ会場で初めて公表された来年のライブの情報というものが、これまた曲者であった。
 なんと特別先行予約の受付開始日時が、今回のライブの真っ最中である12月19日の20時だったのである。
 こんな特別先行予約をするような熱心なファンは、もちろんこの日のライブにも来ているのだろうから、ライブの真っ最中にスマートフォンから予約を入れた人も会場には多くいたものと思われる。
 いや、想像ではなく実際に予約受付開始時刻に会場内から予約をした者がいることを、とあるところで私は確認している。
 その人の証言では、ちょうどその時にはparis matchの代表曲のひとつである「太陽の接吻」が演奏されている最中であり、ライブ鑑賞に予約にと、大わらわだったということだ。
 もちろんその行為自体は禁止事項ではないのだが、スマートフォンではバックライトの光が漏れないように画面を隠すということもできないし、お金に関わることでもあるから、認証やら何やらで時間もかかるしで、もはや私のセットリスト記録どころの騒ぎではないだろう。
 私の右隣の人物が、もしそうした「ライブ中のライブ予約」をする人の隣に座っていたとしたら、それはもう発狂するほどの許せない状況ではないかと思うのだが、いかがだろうか?
 私が心配してしまうのは、別のどこかで同じようなことがあったときに、彼が彼の中でのローカルルールを基に注意をしてしまった結果、たまたま相手が本気の理論武装で論争を挑んできてしまったら困るのではないか、ということだ。
 もしそんなことがあったら、もちろん彼は論争で負けることになるのだが、それだけでなく、余計なことをしたばかりに騒ぎになって、周りにまで迷惑が及ぶことにもなってしまうだろう。

 自分の信ずる「マナー」は、単なる自分だけのローカルルールなのではないか?
 常にそうした自分への問いを忘れずに、徒に他人の権利を侵害しないよう心掛けたいものだと、隣席の人の行為によって再認識させられた夜であった。





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by tima-formosa | 2015-12-26 07:02

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